可乃子百合が咲いた

今年だけはこの百合のことをすっかり忘れていた

ここ数年庭の手入れが思うように出来ず

荒れていた

今朝がたふとこの百合の優しい可憐さに出会い嬉しかった

母が植えた百合 もっとたくさんあったのだが

寂しくなった 赤いカンナの花も母の形見である

この百合の影には母の面影がいくつかかさなっている

怒った顔 そしてほほ笑んだ顔

母は20年前に96歳で去った

大往生だから庭一杯に並んだ生花に真っ赤なバラを3本ずつ

挿し加えた だから葬儀はそれだけで明るくなった

孫達も曾孫たちもおおぜいだった

その年の3月に入院したが個室のガラス窓一杯に桜が咲いて

その溢れるような豊かさに母は両手を上げて万歳をしてみせた

母は花が大好きだった 私が花屋を始めたとき心配しながらも

嬉しそうであった

自分もせっせとにわに花を植えていた

年月が経つにつれ植え始めた桜が増えていき

桜の花見ができるようになりつつあった頃

母は満足そうであったという

その年の12月「広い庭には花を一杯植えたらいいね。。。」

最後の日に一番上の姉にその言葉をのこしたことを

私は後から聞いた 「いい言葉を残してくれたね、、」

そのことは私ども二人にとって宝物に感じた

ここを花園にしよう 桜の里にしようとは常常思っていたことだが

母の意志として想いが共有されたことは 誠に嬉しかった

穏やかで安らかなこの里は

何時までも佐に在ってほしいと願うのだが

そうばかりではない

電力風車は昨日の風でよく回った

音がでて近隣民家の生活に邪魔になるかどうかが

問題点だった

関係者が音の測定に動き回っていたが果たしてどうなったのだろう

風車から80メ-トルの地点に家がある

その家の庭から見上げたところに真新しい風車が

白く輝いている

近所同士は相手の生活に対して尊重することは極めて

大切だ

音の前にそのことの方が取り合えず大事だと思う

業者は風車の丘からすぐ下に見える民家のことは気にならなかったのだろうか

山里のこの地でもっと相手のことを考えてやれなかったのだろうか

安らっかなこの里 どんなことになってゆくのだろう

暫らくは気がかりである

 

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