松ジ-さんは仲間たちに囲まれて飲みながら
やたらに涙がこぼれて仕方なかった
ついつい本音が出た
「俺なぁ こんなに嬉しかったこと、、、考えてみても
おもいだされないが、、、
そうだろうよ、、、あんなに拍手を浴びたことさえなかったよな、、」
秋の日々はコッコっと過ぎていった
11月になって突然入院するからとの知らせ
皆 唖然とした だが松爺さんいつかはそうなること
仲間の内数人は知っていた よくないのだよ 一人が
ささやいた あんなに元気だったのに、、、
暮れに退院したがそれは正月を自宅で過ごすためだった
歳が明けたら即刻病院に行くことになっている
暮れの内に仲間たちはそれぞれ自宅見舞いに行った
そんな仲間の一人に「今度入院したら何時退院できるか分からないよ
俺な、、、俺な、、もう帰れないかもしれね-よ、、、」
更に「ゴルフ面白かったね、、出来たらもう一度やりたいね」
松ジ-さん どっと大粒の涙を流した
元日3日に息子さんの車で家を出た
「広場を見たい、、、」
車は広場のグラウンドにとまった
人っけなし 只広い芝の上に茫洋と冷たい空気があるだけ
「あんなに 賑やかだったに、、」ポツンと呟いた
「おとう、、、行こうか」と息子、、、ジ-さん首を僅かにふった
後に息子さんからこの時の様子を聞いた
なかなか行こうとは言わない 何時までも広場に視線が広がっている
あの時父の脳裏には 自分が元気でプレ-していた幻影が流れていたのでしょう やっとのこと広場に別れを告げたとのこと
松爺さんを説得した磯部 ここでは心置きなく煙草が吸えたようだ
あの頃から体調はよくなかったらしい
よし行くからねと決意したときには既に不安交じりだったのだろう
実際スタ-トするには2週間の時間がかかった
松爺さんは1月17日に亡くなった
阪神神戸大震災の13年の記念日だった
私もその日右目の視力をなくして入院した
松爺さんを弔うことが出来ずお別れしたのですが
彼の晩年にあれだけもの喜びと楽しさを味合ってくれたことへの
お手伝いをさせていただけたのが私の喜びでもありました