隣のAさんが凄く綺麗な椿を見せてくれた
素晴らしいと私は叫ぶように言った
この椿の話は既に数年前に聞いていた
その間には椿の樹木までいったのだが何時も花が咲いてなく
Aさんの説明だけ聞いていた
彼はどんなに素晴らしいかを私にわからせようと
懸命に教えてくれるのだが 私は言葉だけの美しさはわからない
そしてそのうちに椿のことさえ忘れていた
始めにバラかとさえ思った
見事な花だ 私は何年もの間Aさんの未だ見てない花を
少し軽く考えていたことを後悔した
Aさんが立ち去ってから 妻に見せてその素晴らしさを語り合った
お互い花のなかで生きてきた私たち 一目でその花の全貌を
見抜いてしまうことができる
花よし 枝はしなやか 葉は楕円でいうことなし
私はその後えだを整理して挿穂を作った かなりの数ができ
続いて挿床をつくり 挿し木は終了
やった、、、です
カスガイがある筈なのに見当たらない
いつももやもやしていて決まらない自分
挿し木のおかけでふとカスガイのありかを思い出した
早速 カスガイをつかって 上のようなオブジェ
これに関しては尾を引いて続く筈です
今日は昨日にまして最高の天気
何時もの散歩道を二人で楽しみました
実は昨日の作業中から妻の様子がいつもとちがっているのに
気がついた
いつも元気で黙々と仕事をかたずける彼女が「もうこんな仕事は
これでおしまいにしよう」といった
その時私は彼女の顔を見た、、、疲れていると思った
こんなこと言ったことのない妻 何時も私を庇ってくれて大変なのだ
夜も元気がない 私は夜中に目を覚まし想いにふけった
そして気が付いたのだ それが全てではない筈だが
もうお互い「じじ ばば」よびはやめよう
昨年の秋ごろからそう意識して 直接呼び合うことはなかっのだが
その頃から 二人とも年齢にはかなわないねというのも屡々でありました
そしてその頃から 老人という世界の二人になっていたように思う
見上げれば高い土手のうえには綿毛のすすきが深い青空の中で
くっきりと立っている
いつでも私たちは憧れを持って暮らしてきた
後期高齢者であっても元気でいきいきと年齢にふさわしいあごがれを
持ち続けようよ、、、、歩きながらいつもながらの
少ない会話で気持ちが溶け合って元来の自分たちを取り戻していたようです